日本各地で個展を開催している星先こずえさん
2歳の時に自閉症と診断された。
洋画家である城戸佐和子に師事し、「切り絵作家」として活動を始めた。
こずえさんの作品は、クレヨンと絵の具でカラフルに彩色した
自作の和紙を使用して、障害の壁を超越した創造力豊かな世界を
魅力的に表現しているのが、特徴です。
最近では、素材として古布も使用し今までにないインパクトが
感じられる作品になっています。
このような作品を作れるようになるまで、こずえさんに寄り添った
母薫さんが記録した奇跡の成長記録(周りに迷惑をかけたくない!)をご紹介します。
私たちは迷惑な存在ではない
誰にでも堂々と恵子の話をしてきた私だが、最初の頃はやはり
「周りの人たちに迷惑ばかりかけて、申し訳ない」という思いが強くあった。
そんな弱気な思いを払拭してくれた、嬉しい思い出が2つある。
1つは、恵子が3歳になり幼児のための音楽教室に通い出した頃のこと。
幼稚園に入る前に、少しでも人の中に入る練習をさせたくて
グループでの音楽レッスンに通った。
最初は、箱に入って出てこない。箱がないと、泣き叫ぶ。
1ヶ月経って、私も一緒に参加した。
少しずつ、みんなの輪の中に入れるようになったが
私は先生に3度も聞いた。
「ご迷惑でしょうから、辞めさせましょうか?」
先生は、その度に「大丈夫ですよ。」と答えてくれた。
全然大丈夫じゃないのに・・・・・
一緒にレッスンを受ける幼い子供たちにも、申し訳ないと思った。
ところが、3ヶ月後、恵子が初めて先生の呼びかけに答えてくれた。
手を上げて「はぁ~い」と答える恵子に感激したのは、
先生と私だけではなかった。
3歳の幼い子供たちが、いっせいに小さな手で拍手してくれた。
先生が何度も呼びかけ、恵子が何度も答え、子供たちも何度も拍手した。
まるで、映画のような感動の場面だった。
2つめの出来事は、静かな会話だった。
自宅でパン教室を開くからと、友人が私を誘ってくれた。
いつ何をするかわからない恵子がいるのに、「かまわないよ。」と。
そして、「あらあら、恵子ちゃんがあんなところに登ってるよ。」
という慌てた声を挟みながら、パン教室は続いた。
1年後、転勤が決まってお別れの時、
私は「娘がご迷惑ばかりかけてもうしわけありませんでした。」と
お詫びを言った。
すると、彼女は「とんでもない。星先さんたち親子と出会って
私のほうこそ勉強になりました。」
「いったい何が勉強になったの?」と聞くと
「星先さんは、いつも一生懸命に子育てしているから私も頑張ろうと思うのよ。」
と優しく返事をしてくれた。
あぁ、私たち親子は、いつも人に迷惑ばかりかけているのではないんだ、と思った。
恵子を見て、幼い子供たちがその成長を願ってくれる。
私の姿勢を見て、お母さんたちが自分の子育てを振り返ってくれる。
そういう存在になれるのだ。
それからは、無理解な人たちを置き去りにして
私と恵子は、前進を続けた。
人の中に入る練習として始めた音楽教室。
恵子さんへの思いを実行しようとする時、健常児のお母さんなら
それほど気にならないことでも、人一倍気を使っていた薫さん。
そんな中で、恵子さんの成長を一緒に喜んでくれた音楽教室の親子たち。
どんなに小さな成長を、みんなで喜びを分かちあることは嬉しいことですね。
まとめ
息子が小学1年生の時、同じクラスに障害を持った子供がいました
私は、初めて身近で障害と持つ子供とお母さんと
接して初めて、それまで自分が思っていたことと現実とはかなり違っていた。
障害を持つ子供のお母さんの子育てから学ぶことは、多く
また、子供への愛情を深くそして強いものでした。
恵子さんのお母さんの子育てからも、たくさんの事を学びたいと思います。
続きはこちらから
コメント