日本各地で個展を開催している星先こずえさん
2歳の時に自閉症と診断された。
洋画家である城戸佐和子に師事し、「切り絵作家」として活動を始めた。
こずえさんの作品は、クレヨンと絵の具でカラフルに彩色した
自作の和紙を使用して、障害の壁を超越した創造力豊かな世界を
魅力的に表現しているのが、特徴です。
最近では、素材として古布も使用し今までにないインパクトが
感じられる作品になっています。
このような作品を作れるようになるまで、こずえさんに寄り添った
母薫さんが記録した奇跡の成長記録(普通じゃないことに気づく)をご紹介します。
3歳児検診でやっと・・・
1歳半検診の時には、何も言われなかった。
今思うに、私から尋ねていたら、答えてくれたかもしれない。
現実には、他の子供たちより動き回る恵子を、指示通りに
連れまわすことで、私は頭がいっぱいだったに違いない。
あの異常な動き方を見て、心配してくれた人はいただろうが
誰も「病院に行ったほうがいいよ。」とまでは、助言してくれなかった。
夫が転勤族なので、親戚に会うことも少なかった。
恵子とは、2歳になっても目が合わなかった。
「この子は、やっぱりおかしい。」と自分で判断し、
病院へ連れて行った。
悶々としていたから、自閉症と言われて、むしろすっきりした。
「誰も言ってはくれなかったけど、恵子はやっぱり病気だったんだ。」と
それからは、反応がない恵子に話しかけ、笑いながら、歌いかけの日々だった。
1ヶ月ごとに会う療育相談の先生は、
「このレベルの障害の子供さんにしては、すごく伸びてますよ。」
と驚かれたが、私は不安とあせりでいっぱいだった。
そんな時期に、3歳児検診があった。
親子1組ずつの診察で、部屋に入っていく。
「恵子ちゃん、こっちへおいで。」と言いながら、
私は、先生の前に座った。
その女医さんが、前置きなしに
「お母さん、頑張られましたね。」と言われ、私はびっくりした。
私が、「えっ?わかるんですか?」と聞くと
「お子さんが部屋に入ってこられるだけで、わかりましたよ。」と。
1歳半の検診の時と同じ先生だったのに、私は顔すら覚えていなかった。
すでにその時、先生は恵子に障害があることが、わかっていたのだ。
恵子が予想以上に成長していたから、私を褒めてくれたのだった。
その先生の優しい声の響きに、私は、涙が溢れてきた。
ぽろぽろと涙が、こぼれて止まらなかった。
そして、気持ちが少し楽になった。
当時の私には、1歳半検診でどうして伝えてくれなかたのか、不思議だった。
自閉症は、治らないというのが通説になっていたから
むやみに親を落ちこませるのを、避けたのかもしれない。
私は、辛い現実でも、やはり早く伝えて欲しいと思う。
早く落ち込んで、早く立ち直って、少しでも早く子供と向き合えるように
なったほうが、いい。
2歳で自閉症と診断され、あせりと不安の中で歩き始めた。
3歳になるまでの1年間、恵子に話しかけ、笑いかけ、歌いかけを続けた土台が
あったからこそ、その後の恵子は、誰が見てもわかるほど、
ぐんぐん伸びていたのだから。
1歳児検診の時、検診担当の先生は、子供に異常があってもお母さんに
そのことを伝えないのは、どうしてでしょう?
1歳児の頃は、まだグレーな部分がありハッキリしたことがわからないのに
お母さんを不安に落としいれる事を伝えなかったのは、
先生の優しさだったのかもしれませんね。
まとめ
検診時に、わかっていても障害があると告げない周りの気持ちと
障害児を持つお母さんの気持ちに、ずれがあるようですね、
お母さんの気持ちを思うがゆえの優しさだと思うのですが・・・
息子が、小学1年生の時のクラスに障害を持ったお子さんがいました。
その子のお母さんが、保護者会で話されたことが
私は、今でも忘れられません。
「うちの子は、障害があります。学校生活でできないこともあります。
皆さんの手をわずらわせること、迷惑をかけること、たくさんあると思います。
息子が、できないことを頑張ってしてる時には、すぐに手を貸すのではなく
温かく見守って欲しい。
親として、親が生きている間に1つでも多くのことをできるようにしてやりたい。
手を貸してもらうのが、当たり前になって欲しくない。」
親切のつもりでいても、相手にとって親切でないこともあるのですね。
相手にとって、本当の優しさとは何かを考えてあげたいと思います。
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自閉症と2歳で診断された切り絵作家星先こずえさん・母としての切なる願いとは?
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