日本各地で個展を開催している星先こずえさん
2歳の時に自閉症と診断された。
洋画家である城戸佐和子に師事し、「切り絵作家」として活動を始めた。
こずえさんの作品は、クレヨンと絵の具でカラフルに彩色した
自作の和紙を使用して、障害の壁を超越した創造力豊かな世界を
魅力的に表現しているのが、特徴です。
最近では、素材として古布も使用し今までにないインパクトが
感じられる作品になっています。
このような作品を作れるようになるまで、こずえさんに寄り添った
母薫さんが記録した奇跡の成長記録(周りに話し続ける)をご紹介します。
周りの人に話し続ける!
幼い頃の恵子は、自分が走ろうとする先に他の子供がいようものなら
まるで物のように押し倒して前に進んでいた。
だから、公園の滑り台の上にいる時は、絶対に目が離せなかった。
他の子供に怪我をさせたら大変なので、公園にいる親御さん全員に恵子の障害について話し、
恵子が近くにいる時には気をつけるように頼んだ。
それからは、会う人すべてに、私は恵子の障害のことを話すようになった。
幼稚園に入り、最初の保護者会で私は恵子のことを話した。
「迷惑をかけるかもしれませんが、宜しくお願いします。」と
2回目の保護者会でも話す。
「恵子が教室に入れるようになって、とても嬉しいです。」
3回目も話す。
「椅子に座れるようになって、嬉しいです。」
4回目も話す。
「お友達が、恵子に声をかけてくれて嬉しいです。」
毎回毎回、恵子の成長が嬉しくて、私は話さずにはおれなかった。
小学校に入っても、同じパターンで進む。
「恵子が迷惑をかけるかもしれませんが、、宜しくお願いします。」
次回は、「元気に通学してくれるのが、嬉しいです。」
次は、「忘れ物を私のせいにして、恵子が文句を言う事が嬉しいです。」
一言でもいいから、恵子が学校の様子を伝えてくれることが嬉しかった。
覚えているということ、そしてそれを話してくれるということの二重の喜びだった。
そして新学期になると、新たに「宜しくお願いします。」から始まる。
新しい先生も同級生も、間違いなく恵子にとまどう。
でも2学期になると、
「ずいぶん、落ちつきましたよ。」と必ず言ってくださる。
毎年繰り返される言葉は、同じだが恵子は確実にステップアップしていた。
私が「星先恵子の母です。すいません、ちょっとお話させてください。」
と切り出すと先生も保護者もニコニコして聞いてくれるようになった。
恵子が中学生になったある日、障害児の保護者から相談の電話が入った。
「我が子と同じクラスになった健常児の保護者から、
『迷惑だ』と文句を言われる。」と
落ち込んでいるというよりは、憤慨している様子だった。
私が、「うちの子と同じクラスになったお母さんたちは、みんな喜ばれますよ。」
と伝えたら「エーッ!」と絶句していた。
口には出ないものの、そんなことはあるはずない、という言葉が続いていた。
心配なことは日々、山ほどある。
でも、子供の成長に対する喜びと感謝の言葉をそれ以上に積み上げれば
いつの間にか、周りのみんなが温かい目で見てくれるようになるものだ。
学校での保護者会の度に、恵子さんと関わるすべての人に
恵子さんのことを繰り返し話続けることで、無理解な周りの人に
少しでも理解してもらえると信じていたのだと思います。
まとめ
健常児の保護者がみんな障害児に理解があるとは、限らない。
また、障害児を持たお母さん方の日々の苦労や思いもなかなか理解できないでしょう。
自分の身近に、障害児がいない特にそうです。
私もそんな1人でした。
でも、息子が小学1年生になった時、障害児と一緒のクラスだったおかげで
その子のお母さんと話す機会を得、それまでの私の考え方が変わりました。
周りに迷惑をかけながら、少しずつ成長しているんですね。
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