3月9日は「ありがとうの日」の歴史と由来、感謝の気持ちを伝えよう!

生活

「春」といえば出会いの季節ですね。

就職や進学や転勤のために引っ越しをするなど、環境の変化がある時期です。

そんな環境の変化がある時には、大切な人との別れが・・・

お世話になった人たちに感謝の気持を伝えられましょう。

3月9日は「ありがとうの日」。

このタイミングで日頃お世話になっている方や大切な人に

「ありがとう」の気持ちを言葉にして伝えてみてはいかがでしょう。

「ありがとう」の由来は、盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ

普段、よく使う言葉の「ありがとう」ですが、お釈迦様が弟子に説いた教えが由来になっています。

ある時、弟子に対してお釈迦様は
「人間に生まれてきたこと、どのように思っていますか?」と尋ねました。
弟子は「とても喜んでいます。」と答えました。
再び、お釈迦様が「では、どれくらい喜んでいますか?」と尋ねると
弟子は、返答に困りました。

すると、お釈迦様は一つのたとえ話をしました。

「一匹の目の見えない亀が、広大な海の底にいます。
その亀は、海面に顔を百年に一度出します。
真ん中に小さな穴の開いた丸太が、同じその広大な海に浮かんでいます」

再び、お釈迦様は弟子に尋ねました。
「目の見えない亀が、百年に一度海面に顔を出した時、頭をその浮いている丸太の穴に
入れる可能性はありますか?」

弟子は再び答えに困りました。
絶対にないとは言えないが、確率があまありにも低いからです。

「数億の生命の中で、人間に生まれることは目の見えない亀が頭を丸太の穴に入れることが
あるよりも難しいことで、とても有り難いことなのです。」と
お釈迦様が説いたのでした。

この『有り難い』が「ありがとう」の由来となり言い伝えられています。

人間に、生まれる有り難さ

「有り難い」はあることが難しい、つまり「滅多にない」ということなのです。

地球上に存在する生命は、その数も種類も膨大です。
その中から人間として生まれることは、とても有り難いことであって、喜ばしいことです。

また、楽しみや喜び、悲しみや苦しみさえも、人間として生れてきたからであって
「人間としての経験は、全て有り難いこと」なので感謝をしましょう
というのがこの盲亀浮木(もうきふぼく)の教えです。

『有り難い』が「ありがとう」になって、感謝の気持ちを表わす言葉になりました。

人に感謝することや感謝されることは、とても尊い行為なのですね。

今の自分にも感謝!

毎日が、苦難苦闘になりの「疲れた」が口癖になっていませんか?
嫌なことがあったり、思い通りにならなかったりと・・・

そんな毎日を送っているかもしれませんが、3月9日は現在の自分に感謝を込めて
「ありがとう」と言ってみると、日々の苦難苦闘も人間として生まれたからこそ
経験できていることに感謝する気持ちになるかもしれません。

人間に生まれたこの奇跡に感謝すると、毎日の見え方が変わってくるかもしれません。
周りの人にも、日頃の感謝の気持ちも言葉で伝えることも忘れないでください。

日常にも、感謝すべきことがたくさん!

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