日本各地で個展を開催している星先こずえさん
2歳の時に自閉症と診断された。
洋画家である城戸佐和子に師事し、「切り絵作家」として活動を始めた。
こずえさんの作品は、クレヨンと絵の具でカラフルに彩色した
自作の和紙を使用して、障害の壁を超越した創造力豊かな世界を
魅力的に表現しているのが、特徴です。
最近では、素材として古布も使用し今までにないインパクトが
感じられる作品になっています。
このような作品を作れるようになるまで、こずえさんに寄り添った
母薫さんが記録した奇跡の成長記録(俳句カードの量が質を生む)をご紹介します。
俳句カードの量
恵子が小学校に入学する頃から、俳句カードを使って俳句を覚えさせることにした。
少しでも記憶する力をつけて欲しかったからだ。
例によって、印刷された綺麗な『くもん式俳句カード』(くもん出版)には
見向きもしない。
私は、俳句カードの大きさに画用紙を切り、それに写して手作りの俳句カードを
作った。手書きの音読教材と同じく、手作りのカードは見てくれた。
しかも、すでに描くことが好きだった恵子は、自分で俳句カードを
作ってくれるようになった。
表に俳句の最初の5文字を書いて、絵を描く。
裏にその句全体を書いておく。
恵子にカードの表の絵を見せながら、句を読む。
何度も繰り返しているうちに、最初の言葉を口にしただけで
あとに続く句を言うようになる。
毎日、5枚ずつ続けた。
言えるようになった俳句は、別の新しいカードと交換した。
小学2年生まで、私は恵子の級友に毎日電話して、その日の宿題と翌日に
持って行く特別なものはないか聞いていた。
小学3年生の時、担任の徳永先生の名前を覚えるのに1ヶ月以上かかった。
小学4年生の時、新学期初日に、担任は小浦先生だと教えてくれた。
俳句によって、恵子に記憶力がついた気がして、私は嬉しかった、
小学5年生には、新聞を読むようになっていた恵子は、そこに俳句のコーナーが
あることを知った。
そして、自分も俳句を作ると言い出した。
彼女は何かすると決めたら、それだけで頭がいっぱいになる。
週末、家族で出かけた2日間さえも。ノートと鉛筆を離さず
俳句を60句作った。
その中から、私が知らないうちに父親と選んで3句投句したそうだ。
3学期のある日、朝日新聞の俳句欄を担当しておられる中村孝一先生から
はがきを頂いた。
「小学5年生で投句して頂いたのは初めてです。ご家族のどなたかが
やっておられますか?あなたなら指導しますから、作品を送ってください。」とあった。
私は、嬉しくて嬉しくて、郵便受けの前ではがきを手にポロポロ泣いた。
で、そのあと「恵子ちゃんは、才能があるみたいだよ。また俳句を作って出してみようよ。」
と誘ったが、「イヤダッ!」の一言で終わってしまった。
その後、俳句は出さなかったものの色紙に山水画(もどき)を墨で描いて
おそれおおくも、中村先生に送りたいと言い出した。
私は、恵子の障害のことを伝える手紙を添えて、感謝の気持ちを込めてお送りした。
すると年末に、中村先生から色紙を頂いた。
それには、『古稀われに 父母恩と 除夜の鐘』という句があった。
「自分は古稀を迎えたけど、除夜の鐘を聞くと父母の恩を思わずにおれない、という句です。」
と丁寧な手紙が添えてあった。
私は、説明を読んで初めて、なるほどと感じた。
ところがその時、句だけしか見ていない恵子が横でなにやら、うなっていた。
「フォ~~ン ポォ~~ン フォ~~ン ポォ~~ン・・・」
父恩母恩の文字と除夜の鐘の音を結びつけて、中村先生の伝えたい思いを
しっかりと味わっている。
私は、「負けた!と思った。
母としては、記憶力をつけたい一心で始めた俳句カードだったが
感受性も一緒に鋭くなっていた。
大人以上に、豊かな感受性を持つまでに成長した恵子さん。
母としては、期待以上のビッグプレゼントでしたね。
まとめ
何事も、初めてのことを始めるのは、とても勇気や根気が必要。
ゴールが見えなくても、いつか必ずできるようになると信じて疑わないで
いられるお母様の精神は、固く強いものです。
恵子さんへの深い愛情を感じます。
続けていた読み聞かせが、恵子さんの成長を加速させ、さまざまなことが一気に
できるようになっていく様子を見られることは、とても嬉しいことだったでしょう。
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