自閉症と2歳で診断された切り絵作家星先こずえさん・学校に慣れてから次の入試の準備(小学校~大学入試)

子育て
自閉症、入試、目標

日本各地で個展を開催している星先こずえさん

2歳の時に自閉症と診断された。

洋画家である城戸佐和子に師事し、「切り絵作家」として活動を始めた。

こずえさんの作品は、クレヨンと絵の具でカラフルに彩色した

自作の和紙を使用して、障害の壁を超越した創造力豊かな世界を

魅力的に表現しているのが、特徴です。

最近では、素材として古布も使用し今までにないインパクトが

感じられる作品になっています。

このような作品を作れるようになるまで、こずえさんに寄り添った

母薫さんが記録した奇跡の成長記録(学校に慣れ手から次の入試準備)をご紹介します。

1年生の時は機嫌が悪い

障害児、特に自閉症児は新しい環境に慣れにくい。

入園入学の最初の1年は、無事に登園登校してくれるだけで、親は満足すべきだと思う。

恵子は小学2年生まで、「いやだぁ!学校行かな~い!」と毎朝叫んでいた。

転校した小学3年生までは、「毎日、学校でパニック起こしてます。」と聞いた。

4年生からは、少なくなっていったが、学校生活が慌ただしい時期には必ず起こす。

高校2年生まで、運動会の時期にパニックが起こった。

でも、小学3年生頃には、「学校に通う」ということが習慣づいたので、

熱がでようが、いじめられようが、休まなくなった。

「自分の意志で休まない」というよりも「生理的に休めない」という感じだ。

小学校は普通学級に通ったが、中学校も普通学級で大丈夫かなぁ、と心配していた。

しかし、先生たちから、そんな話は出なかった。

同じ学年の特殊学級の子供たちの方が恵子よりも落ち着いていて

話もまともにできていたというのに・・・・・。

後から考えたら、他の生徒がからみさえしなければ静かなので、授業中は真面目な生徒だ。

読書量のおかげで、国語と社会の成績は、よくなっていたから特に問題視されなかったのだろう。

中学生になり、1年生の時は、無事登校しているだけで満足だった。

相変わらずの、公文と読書をするマイペースの日々だった。

それでも、慣れない新しい環境で、情緒不安定だった。

つまり、機嫌の悪い日が多い、ということ。

中学2年生からは、高校受験を意識した。

公文の学習も通信生をやめ、教室に通うようにして、苦手な数学に力を入れた。

そして、恵子と一緒に、市内の高校をいくつか見学した。

単位制の高校を見学して、「ここしかない。」と20人で決めた。

それまでは、恵子が授業を理解しているのかどうかや、学校の成績をあまり気にしなかった。

でも入試に響くので、それからは、定期試験には取り組むようにした。

一番簡単な問題集をそろえ、どうしようもないことは気にしないことにした。

余計な試験を受けることが嫌いな恵子だったが、3年生からは、高校受験の練習と内申書を

有利にするために、漢字検定や英語検定を受けるようになった。

自分に目標ができれば、嫌なことにも取り組めるものだ。

3年生の担任の先生に、推薦入試を受けさせてくださいと頼んだ。

初めは、「何かの大会で優勝するとか、特別な成績がないと推薦できない。」と断られた。

「真面目路線ではだめでしょうか?あんなに真面目な生徒はいません。」と何度も頼んだ。

もちろん、にこやかに。

最期は、「まず、学内の推薦枠に入るかどうか難しいですが、ともかく希望を出してみます。」

と言われた。

私がPTAの役員として、恵子の入学時から学年代表としてとりくんできたことが

点数をかせいだのかどうかは不明だ。

でも、ともかく学校の推薦枠に入れていただけた。

そして、親子での面接の特訓をへて、無事に合格できた。

高校に入学すると、今までと同様、初年度は登校しているだけで満足していた。

バス通学だから、なおさらのことだ。

高校時代は、3年間、同じ女性の先生が担任になってくださり、安心できた。

ここだけの話、担任の先生が温かい人柄かどうかは、障害児にとっての死活問題だ。

また、人格、才能ともに素晴らしい美術の先生との出会いがあった。

その先生から個人的に絵を習いたいと、恵子が言い出した。

自分で先生と交渉し、2年生からは、毎週2回、放課後に先生宅で指導して頂くことになった。

高校時代は、スケッチ大会や作品展で賞を頂くことが多かったから、

誰がみても明らかな選択で、先生たちも応援してくれた。

大學入試は、普通の推薦入学よりもさらに1ヶ月も早い実施の、OA入試を受けることができた。

受験生のやる気や目標も評価する入試で、作品提出と面接だった。

面接後、彼女は落ち込んだ。

「自分の面接時間は、他の人より短かった。質問が少ないということは、

落ちると決まっているのだろうか。」

落ち込む恵子を見るのも初めてだというのに、見るも哀れな落ち込みようだった。

いつもはひょうひょうとしている主人でさえもが、見かねて慰めるほどだった。

私は、また恵子の成長を感じて、内心嬉しかった。

他人と自分を比べることが、できない人だったから。

そして、無事大学合格。

職員室から、教頭先生の電話があった。

「横で恵子さんが、嬉しさのあまりパニックになってますよ。」と笑いながら

一緒になって大喜びしてくださった。

入園、そして小学校、中学校、大学の入学とギリギリセーフで乗り越えた、というのが実感だった。

でも、大学入学の日は、人並の親の気持ちで座っていられた。

新しい環境になれるまでに、時間のかかる自閉症。

自閉症の症状を正確に把握しながら、恵子の成長に合わせ

入学しては、次のステップへの準備をお母さんが着々と進めていったからこそ

恵子さんの大きな成長に繋がり、大学入学ということも達成できののでしょう。

まとめ

恵子さんの成長を見ていると、最初は働きかけをすることは無駄かもしれないと

思ったかもしれないが、コツコツと毎日積み上げてきたものは、

全て恵子さんの中に吸収され、無駄にはなっていない。

どんなことも、目標をもち、その目標に向かって努力したことが

かけがえのない財産となっていくのですね。

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