自閉症と2歳で診断された切り絵作家星先こずえさん・入園式後の第一目標(幼稚園入園前後)

自閉症、幼児教室、慣れる 子育て
自閉症、幼児教室、慣れ

日本各地で個展を開催している星先こずえさん

2歳の時に自閉症と診断された。

洋画家である城戸佐和子に師事し、「切り絵作家」として活動を始めた。

こずえさんの作品は、クレヨンと絵の具でカラフルに彩色した

自作の和紙を使用して、障害の壁を超越した創造力豊かな世界を

魅力的に表現しているのが、特徴です。

最近では、素材として古布も使用し今までにないインパクトが

感じられる作品になっています。

このような作品を作れるようになるまで、こずえさんに寄り添った

母薫さんが記録した奇跡の成長記録(入園前後)をご紹介します。

幼稚園にある公文の教室へ

恵子が2年保育で入園する4ヶ月前に、転居した。

長女も、4ヶ月で小学校入学という時期だ。

長女を転園させる幼稚園に、恵子の入園も承諾してもらうことができ、一安心した。

恵子が少しでも幼稚園に慣れてくれるようにと、入園前には出来るだけ連れて出かけた。

それでも入園式のあくる日、通園初日に幼稚園バスへ無事に乗ってくれるか、ドキドキ。

恵子には、バスが来たら私とお別れなのだ、という「説明」はできない。

お迎えの幼稚園バスから降りてきたのは、長女の担任の先生だった。

バスを待つ間は、不穏な空気を感じて私にしがみついていたが、

顔見知りの先生に抱っこされて、無事バスの人となった。

私と1度も離れたことのない恵子が、ともかくも幼稚園バスに乗ったことは凄い!

今だったら携帯電話を使うところだが、私は大急ぎで自宅へ帰り主人の会社に電話した。

電話口に出た主人に、一言だけ「乗ったよ!」

主人の返事も一言だけ「乗ったか!」

しばしの沈黙のあと、「じゃあ」と電話を切った。

竹下教室(渡辺信子先生)の幼児教室に、恵子は新しく通うことにした。

以前の田原先生の教室では、他の生徒さんたちが来る前の時間に伺っていたので

私は、気兼ねなく先生と話すことができた。

恵子も、自由に教室を動き回った。

しかし、竹下教室ではすでに大勢の生徒さんたちが来ている中へ

入って行くことになるせいか、恵子は教室に入るのを拒んだ。

でも、親子にとってはちょうどいい次の一歩だった。

教室は「するべきことをする場所」となった。

私は、教室の前の空き地で恵子を遊ばせながら

「恵子ちゃん、教室に入ろうかぁ。」と声をかけた。

恵子は「いやだぁ!」と叫ぶ。「じゃあ、後で入ろうねぇ。」

10分おきぐらいに、何度か同じセリフをやりとりするうちに、

やっと自分で入る気になってくれる。

でも、さっさと入ってくれるには、数か月が必要だった。

幼児教室では、最後にみんなで手をつなぎ、輪になって「かごめかごめ」をする。

恵子は、絶対にしたがらなかった。

それでも、毎回見ているうちに、自分もしなくてはいけないと思うらしい。

恵子が半分腰を引きながらも、輪の中に入ってくれた時には、渡辺先生と目と目で喜びあった。

恵子が通うようになった幼稚園の中でも、渡辺先生は公文の教室を開設しておられた。

無事に入園式をすませた後の第一目標は、幼稚園の幼児教室に通えるようになることだった。

「幼稚園にも公文の教室があるから、行ってみよう。」という複雑な日本語は通じない。

お友達が幼児教室に行く時には、恵子を誘ってもらうことにした。

そして私は、教室で待機していた。恵子は、アレッと思いながらもそこには

渡辺先生はいるし、私もいる。

なんとなく公文をするところだと思ったらしい。

そして1年後、もう私は幼稚園の幼児教室へ行かなくてもよくなった。

健常児でも、幼稚園に通い始めた頃

幼稚園バスに泣いて乗れない子、お母さんと離れられなくて泣く子を良く見かけます。

初めて環境に不安を感じるのでしょう。

でも、毎日泣いていても慣れてくると泣かないで登園でいるようになります。

障害が持った子も、初めての環境に対して、不安をかんじるのでしょう。

慣れるまでの期間が、健常児に比べてかなりかかるけど

慣れるまで根気よく続ければ、安心していくのですね。

まとめ

少しずつ恵子さんは、新しい環境に対して自分がどうするべきなのかを考えたり

怖い気持ちと緒戦したい気持ちが交差しているのが、見えますね。

またお母さんが恵子さんが自分から動くのをゆっくり待つ態度にも心を打たれます。

恵子さんが、幼稚園へ行っている間、幼児教室へ行っている間

一人の時間が持てるようなってのですね。

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