自閉症と2歳で診断された切り絵作家星先こずえさん・会話力は最後につく力(幼稚園~中学校)

子育て
自閉症、言葉のキャッチボール、、面接

日本各地で個展を開催している星先こずえさん

2歳の時に自閉症と診断された。

洋画家である城戸佐和子に師事し、「切り絵作家」として活動を始めた。

こずえさんの作品は、クレヨンと絵の具でカラフルに彩色した

自作の和紙を使用して、障害の壁を超越した創造力豊かな世界を

魅力的に表現しているのが、特徴です。

最近では、素材として古布も使用し今までにないインパクトが

感じられる作品になっています。

このような作品を作れるようになるまで、こずえさんに寄り添った

母薫さんが記録した奇跡の成長記録(会話力は最後につく力)をご紹介します。

面接を受けるという奇跡

恵子の話している言葉は、大学生になっても聞き取りにくい時がある。

幼児の頃は、会話といっても、単語1つきりの返事がほとんどだった。

「恵子ちゃん、今日幼稚園で何したの?」と聞くと返事は「かっぱ」の一言。

私は、「かっぱ」に関する何かをしたんだなぁ、と想像する。

先生からの手紙で、紙のレインコートを作ったと知って

「フムフム、なるほど。」と納得する。

小学生になっても、特に「さしすせそ」の発音ができなかった。

「せんせい」が「へんへい」になってしまう。

発表会など、壇上で合唱する時には、恵子だけ口が動いていない。

高学年になると、口をもぐもぐさせるようになった。

歌詞は覚えていないけれど、格好だけでもつけなくては、と思っているのだろう。

能力がついていかない恵子の辛さを想像しながらも、彼女の成長を感じた。

小学校から帰宅し、「今日は何があったの?」という質問に、「いろいろ」と答える。

「いろいろって、何よ?」と聞き直すと、「いろいろだよ。」と答えていた。

その恵子が、中学2年生の4月、私が台所で洗い物をしていると

「今日は学校で、久しぶりに鼻血が出たんんだ。」と話かけてきた。

「授業中だったから、先生に言ったら周りの人がティッシュをくれたんだ。

・・・・・それから体育の授業では、必ず運動場を5周走るんだ。

私はいつの間にか、みんなより半周速く走っているんだよ。

それなのに、もうすぐゴールだと思うと、足が勝手に、もっと速く走りだすんだ。

・・・・・私は逆上がりできないんだ。前回りはできるんだけど。

・・・・・私は、新聞係になっているんだ。早速新聞を作成しているよ・・・」

生活する上での会話に困らなくなっていたし、多少のやりとりはしていた。

でも、その時の私には

「恵子と初めて雑談をしている。」と思えて、ワクワクと楽しい時間だった。

中学3年生になると、長女と3人で会話が、つまり言葉のキャッチボールができるようになった。

さりげない顔をしながら、心の中では幸せな気分。

そして、高校受験は中学校から推薦されて、面接試験に臨むこととなった。

恵子は、自宅でもコチコチになりながら、親子で面接の練習をした。

本番当日に、15分の面接時間が終わるのを待っている間の、なんと長かったこと!

家族にとっては、高校合格よりも、恵子が面接を無事受けたことのほうが、むしろ奇跡だった。

その面接では、「あなたの性格は?」と聞かれて、「マイペースです。」と答えたそうだ。

その次が問題。

「どんなところが?」と聞かれて「試験前でも、慌てて勉強しません。」と。

「さすが、恵子ちゃん。」

 

小さい時からのお母さんの一生懸命の働きかけで、言葉のキャッチボールが

できるようになり、面接での恵子さんの個性あふれた答えに

とても驚き、成長の凄さを感じます。

毎日の働きかけって、本当に大切なのですね。

まとめ

恵子さんの成長の記録を読む度に、もし恵子さんが自閉症という障害を持たず

普通の健常児だったら、薫さんはここまでの努力をしただろうか?

子供は、お母さんを選んで生まれてくる。

お母さんのお腹に入る時に、キラキラボールを持って行くか、行かないかの選択があるらしい。

キラキラボールの中身は、「障害」

ある男の子の胎内記憶では、「キラキラボールは、勇気のある子が持って行くんだよ。」

と証言してるのを考えると、恵子さんは、勇気ある女の子だったのですね。

 

 

 

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