「招き猫の日」(9月29日)の意味・由来・縁起物に使われるのはなぜ?

招き猫の日、ご利益、由来 生活

商売繁盛を願って「招き猫」を飾る店が多いですね。

「招き猫の日」があったのを知っていますか?

誰がどんな由来で、「招き猫の日」を決めたのでしょうか?

招き猫のポーズについても、気になるので調べてみました!

「招き猫の日」

1955年、招き猫の愛好団体である日本招猫倶楽部によって制定されました。

「来る福」が「く(9)るふ(2)く(9)」と読める語呂合わせから

日付は29日になりました。

記念日は、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

この日を機に、三重県・伊勢の「おかげ横丁」の「来る福招き猫祭り」など

全国で記念行事が開催されています。

招き猫の種類!ポーズと色

招き猫のポーズ2種類

招き猫の歴史は、江戸時代に始まります。

招き猫は、前足で人を招く形をした、猫の置物。

猫は、農作物や蚕を食べるネズミを駆除するために、古くは養蚕の縁起物でした。養蚕が衰退してからは、商売繁盛の縁起物とされています。

縁起物の招き猫には、右手をあげた猫と左手をあげた猫の二種類があります。

「右手」はお金や福を呼ぶ「商売繁盛」

「左手」は客などの人を招くとされる「先客万来」です。

招き猫の色によって違うご利益

招き猫、上げる手によってご利益が違うように色によってもご利益が

違うようです。

金色:金運
黒色:魔除け、厄除け
赤色:病除け
青色:学業向上
緑色:交通安全、家内安全
ピンク:恋愛

あなたは、何色で右手上げ?左上げ?の招き猫にしますか?

招き猫の発祥地と由来

招き猫の発祥地や由来については、商売・花街・猫寺などの説が

いくつかありますが、定まっていません。

「猫の恩返し」で有名な話は3つです。

1.猫寺(豪徳寺)東京

「猫寺」とは、猫のたたりや猫の恩返しなど猫に深い寺のことです。

豪徳寺のお使いは、猫です。

17世紀の初め、江戸の世田谷の豪徳寺は貧乏寺でした。

ある日、近江彦根藩主の井伊直孝が鷹狩に出かけた帰りに豪徳寺の門前を

通りかかりました。

すると、1匹の白猫が右手をあげて直孝に寺の中に入るように手招きしました。

井伊直孝が、手招きにされた境内に入ると、直孝がさっきまでいた門前に

激しい雷が落ちました。

命拾いをした井伊直孝は、豪徳寺を改築し立派な寺とし井伊家の菩提寺とした。

招き入れた白猫のタマ。住職はタマに感謝しタマの死後に張り子で似姿を作り

「招福猫児(なめぎねこ)」と名付けて供養した。

右手を上げて人を招く、招き猫の由来となりました。

2.西方寺(花街から)

花街とは、遊女屋・芸者屋が集まってる地域のことです。

江戸吉原の人気の遊女、薄雪太夫(うすゆきたゆう)は猫が大好きでした。

ある日、お手洗いに行こうとすると、猫がまとわりついてきました。

遊女屋の主人は、猫が魔消化したと思い、首をはねてしまいました。

すると、その猫の首がトイレに潜んでいた大蛇にかみつきました。

太夫は命を救われたのですが、愛猫を失い嘆き悲しみました。

その様子をみかねたひいきの客が伽羅の木で猫の人形を作って太夫を

なぐさめたのが、招き猫の始まりとされました。

3.今戸焼の招き猫(商売で)

日本で1番古い招き猫は、今戸焼の丸〆猫(まるしめのねこ)という

招き猫と確認されています。

丸〆とは、福徳やお金を「丸くせしめる」という意味です。

現在でも素朴な可愛らしい招き猫が作られています。

19世紀の半ば、明治維新の14年ほど前のこと。

浅草に住んでいたおばあさんが、余りの貧乏ゆえに愛猫を手放すことになった。

しかし、ある夜にその猫が夢の中に現われ

「右手をあげて人を招くようなかっこうの猫の飾り物を作ると

福が来る」と告げたのです。

おばあさんは、今戸焼の窯元でその通りの猫の置物を作ってもらい

浅草の観音様(浅草寺)の鳥居の近くで売ったところ大人気になり

おばあさんはおお金持ちになることが出来ました。

これが招き猫の由来とされ、江戸で今戸焼の招き猫が大流行したのです。

この猫の置物は、遺跡から出土し、日本最古の招き猫としては

確実な物とされました。

今戸焼の招き猫は、浅草寺がゆかりです。

まとめ

日頃なにげなく目にしている招き猫の置物。

商売繁盛としてご利益があると言われているのは、知ってはいたが

由来は、全く知らなかった。

3つの「猫の恩返し」の話もとても不思議なものを感じました。

猫が上げている手や色を気にしながら購入してみたいと思います。

 

 

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