日本各地で個展を開催している星先こずえさん
2歳の時に自閉症と診断された。
洋画家である城戸佐和子に師事し、「切り絵作家」として活動を始めた。
こずえさんの作品は、クレヨンと絵の具でカラフルに彩色した
自作の和紙を使用して、障害の壁を超越した創造力豊かな世界を
魅力的に表現しているのが、特徴です。
最近では、素材として古布も使用し今までにないインパクトが
感じられる作品になっています。
このような作品を作れるようになるまで、こずえさんに寄り添った
母薫さんが記録した奇跡の成長記録(入園前後)をご紹介します。
手書きの教材
障害児でも、公文の教材を嫌がらずに始める子供は多い。
でも、恵子は最初から最後まで、つまり高校3年生までの15年間、一貫して大嫌いだった。
だから私は、公文を続けているのに学校の成績に反映されない、という雑念よりも、
「今日もなんとか、プリントに取り組んでくれた。」という喜びの方が大きかった。
渡辺先生の教室に変わってからも、例の線引きのプリントを相変わらず嫌がった。
私は、手書きで線引きの練習問題を作ることにした。
子供の落書き帳の真ん中に幅広の道路を描き、その上と下にりんごの絵を描いた。
恵子を私の膝に座らせ、一緒に鉛筆を持って、
「りんごさんとりんごさん、こんにちは~」と言いながら
上のりんごから下のりんごまで線を引いた。それを毎日3枚やった。
道路はだんだん狭くなり、カーブを描き、角ができた。
恵子は筆圧がないので、角でもちゃんと鉛筆が止まらないし、
最後もきちんと、止まらなかった。
それでも、私が手書きした線引き問題に慣れてくると3ヶ月後には
印刷された公文のプリントにも取り組んでくれるようになった。
手書きプリントと印刷されたプリントと混ぜてする段階を通って、
やがて、印刷されたプリントだけをする、という状態にたどりついた。
すべてのことが、手書き教材から始まった。
数字の練習も、私が色ペンで書いた上を書くことから始めた。
初めは、大きくしか書けなかったけれど、少しずつ小さく書けるようになったいった。
10までを繰り返し書かせた。20までを繰り返し書かせた。30までを繰り返しか書かせた。
渡辺先生は「小学1年生が使う、ます目がある算数のノートに、大きい数字まで
書かせていくといいですよ。」と言われた。
でも恵子は、市販のノートには書きたがらなかった。
それで私は、色ペンでます目を引きそれに書かせた。
その紙を糊付けして繋ぎ、大きい数字まで書かせるようにした。
今日は、1~30まで、次の日は31~60まで、次の日は61~90まで、というふうに。
数字の練習は、小学3年生まで続いた。
1000まで書かれた数字の巻物が、3本できた。
私が書かせたのは1000までだったが、基本的なことを何度繰り返すうちに
恵子は、書いたことがない大きな数字の法則も身につけたようだ。
なによりの収穫は「数字というのは、物を数える時に使う」という
当たり前のことを体得してくれたこと。
普通の子供たちなら、生活するうちに自然に身につける何かが、あの子たちには欠けている。
言葉での説明を理解する能力は、もっと欠落している。
だから,すべてのことは繰り返し訓練して、体得するしかないのだ。
普通児の子ならスムーズにプリントから始められるのに
障害を持っている恵子さんには、プリントを始める前にスモールステップを準備する
プリントに慣れるまでの期間が、新しいことを始める時には必要なのだ。
何度も繰り返し、繰り返し体に覚えさせていく作業は、普通児でも同じだと思う。
まとめ
恵子さんが幼稚園へ通い始め頃からの薫さんの手記を読んでいると
前が全く見えず模索し、前進することを決めて思考錯誤の日々を重ね、
できるようになるには・・・を考え達成目標を決める。
達成できたら、次の目標を設定しながらスモールステップを
1段1段上りながら、親子共々成長していく姿は、とても感動します。
続きはこちらから
コメント