日本各地で個展を開催している星先こずえさん
2歳の時に自閉症と診断された。
洋画家である城戸佐和子に師事し、「切り絵作家」として活動を始めた。
こずえさんの作品は、クレヨンと絵の具でカラフルに彩色した
自作の和紙を使用して、障害の壁を超越した創造力豊かな世界を
魅力的に表現しているのが、特徴です。
最近では、素材として古布も使用し今までにないインパクトが
感じられる作品になっています。
このような作品を作れるようになるまで、こずえさんに寄り添った
母薫さんが記録した奇跡の成長記録(小学校入学前後の取り組み)をご紹介します。
小学校に無事入学した
幼稚園年長の秋には、翌春の進学に向けて、どの小学校がいいのかを
療育相談の先生と話し合って決める。
当時は、普通学校に設けられた普通学級か特殊学級、あるいは養護学校かの3択だった。
しかも、特殊学級がまだ少なかったので、恵子の場合は普通学級が養護学校かの2択だった。
これからは、すべての子供が区別なく、普通学級で学ぶ方向に変わっていく
(特別支援教育)と聞いている。
年長の夏休みに、療育の先生から
「普通学級は無理でしょうが、秋にもう1度考えてみましょう。」と言われた
秋になると、「こういう状態ではまだ無理ですが、恵子さんは物凄く伸びていますから
もしかしたら大丈夫かもしれませんね。」となった。
「私が、校長先生にお手紙を書いてあげましょう。」と言ってくださり、
恵子のこれからの可能性にかけ、なんとか普通学級に入学することができた。
まずは、学校に毎朝行くこと、そして授業中ちゃんと座っていられることが目標だった。
書く練習を続けていたおかげで、座ることはできた。
2学年上の姉は、心配でたまらない。
1年2組の恵子の教室を、休み時間ごとにのぞきに行ったそうだ。
幸せな妹は、何も気づいていない。
幼稚園時代と違い、学校は1週間の時間割りに沿って運営されている。
恵子には、曜日の感覚がなかった。
私は、手作りのウォールポケットを作った。
月曜日から土曜日の6個のポケットを、ハンカチ入れにした。
月曜日には、そのポケット全部にハンカチを入れ、毎朝そこからハンカチを
取り出しては、恵子に渡した。
土曜日になって全部が空になると、あくる日の日曜日はお休みになる
ということを繰り返した。
そうやって、恵子には、「1週間」のリズムを体で覚えてもらった。
朝、起こしに行くと、「やだーっ!起きなーい。」と叫ぶ。
私は「そうだよね。起きたくないよね。」と言いながら恵子をおんぶして食卓まで運ぶ。
次は、「やだーっ!食べなーい。」と叫ぶから
「そうだよね、食べたくないよね。」と言いながら小さな一口おにぎりを口に運んだ。
「イヤダーッ!学校行かなーい!」と叫ぶ朝も多かった。
私は、手作りのケーキを作ることにした。
恵子は、食べたいケーキを私に注文してから、しぶしぶ登校した。
ケーキ作りは、中学生まで続く。
それを見ながら育ったせいか、最近の恵子は私よりもケーキ作りが得意で
1日に3種類は気楽に作れる。
恵子が「やだーっ!」と叫ぶ時、私は「どうして、嫌なんだろう。」とは思わない。
「あぁ、恵子は嫌なんだな。」と思う。
「嫌だろうけど、頑張ってやってくれないかな。」という思いでいると
最後には私の願い通りにしてくれる。
「やだーっ!」と何度もさけんでいるのは、私の希望に沿うために
恵子が自分自身をコントロールしている時間なのかな、と思ったりする。
小さい頃から働きかけてきたおかげで、恵子さんは目覚ましく成長でき
小学校入学時の「授業中に座っていられる」という目標が達成できた。
普通学級に入学できたことは、薫さんにとって嬉しいことだったと思います。
でも大変だったのは、入学後、毎朝起こして学校へ登校させること。
嫌がる恵子さんの対応も、優しい言葉をかけながらも作業をたんたんと進めていく。
進めていく中でも、手作りケーキで恵子さんの気持ちも大切にする行動に感動します。
まとめ
恵子さんが小学生の頃に比べれば、今は障害を持った子供について
周りの人たちは、かなり認識されていると思います。
でも、今でも障害児を持つお母さんは年長の秋になると小学校入学の3択で悩んでいます。
小学校側は、手のかかる障害児には養護学校を勧めることが多いようです。
障害の状態が明らかに普通の小学校では難しいとなると養護学校を選ばざるおえませんが
恵子さんのように成長が伸びていて、親が普通学級を希望すれば認められるようです。
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